カンボジア速報・・・
タイ大使館焼き討ち騒動 !
2003年02月07日
カンボジア情報・・・
1、タイ大使館焼き討ち事件・・・ 2月28日、タイ大使館、タイ企業、ガソリンスタンド、タイ 資本のホテルなどを襲撃した暴徒によってタイ、カンボジア関 係の国交が断絶され、タイ人、カンボジア人の交流が出来なく なりました。 タイとカンボジアの国境の町ポイペットには、タイへ出稼ぎに 行っていた数万人の人々がカンボジアに送り返され、毎日タイ 側に仕事に行っていた人たちも、全く仕事がなくなりました。 騒動から10日が過ぎようとしていますが、未だに国境ゲート は開かず、厳重な警備がひかれています。仕事のなくなった人 々は、その日の食費にも事欠き、食べる物も有りません。住む 家もない人々は、木の下や民家の軒先を借りて細々と生活して います。ポイペットには、今も生活できない経済難民が益々増 えてきています。 タイから引き上げてきた難民が、地雷原の真っ只中に入り込ん でいると聞き、救援に出かけましたが、難民で溢れたポイペッ トには安全な場所さえありません。せめて地雷原に入り込んで 食料を探す事が無いように食料の配布を始めたが、あまりにも 人が多く焼け石に水です。 この事件が早く解決する事のみを心から願っています。
2、ストリートチルドレン(物乞いの子) 二週間ほど前、ポイペットの国境の橋上で物乞いをしていた こどもの衰弱があまりにもひどく、見かねて病院に入院さまし たが・・・。 少し元気になって退院すると保護者のおばさんが再び物乞いに 行かせました。 (やせ細り今にも倒れそうな子供の方がお金を稼げるらしいで す。) 私は、その時仕事でプノンペンにいましたので、直ぐには帰る ことが出来ず、遠い地で、子供のことばかりが気になっていま した。仕事を早めに終わらせ、急いでポイペットに帰り衰弱し た子供を『こどもの家』に引き取ってきましたが、子供は起き 上がることも御飯を食べる力もなくなっていました。数日間、 必死の看病にもかかわらず3日前その幼い命のともし火を消し てしまいました。 カンボジアの貧困は長い長い内戦によって国内が荒廃し農業さ え出来なくなってしまった事が原因です。でも、その内戦を起 こしたのはカンボジアの人々ではなく、外国の欲望に原因があ ります。今度は私たち外国人がカンボジアの平和とカンボジア の人々が自分達で立ち上がるお手伝いをする時のようです。カ ンボジアの人たちが自分達で国づくりを出来るようにお手伝い していきたいと願っています。 『カンボジアこどもの家』栗 本英世
『カンボジアこどもの家』栗本 英世
2003年01月29日
カンボジア速報・・・
昨日から続いていたタイ大使館焼き討ち騒動 ! 夜に入るとタイ資本のホテル、ガソリンスタンド、商店にまで飛び火し各地の商店が燃え上がりました。この騒動は朝まで続き、道路の各地には銃を持った人々がたむろし今朝も緊張状態が続いています。不穏な動きは昨日の午前中から起きていました。10時ごろ国立大学構内で大量のビラを配布しているのに出会いました。ビラに書かれいる内容はタイへの中傷記事で埋まり悪辣な内容で、夕方から近所の人々が大勢集まり大声で話し合っています。夜に入り私の家の近く、ポーチェントン通り沿いで激しい銃撃の音が響き渡りました。
やっと平和が定着したかに見えましたカンボジア、昨年10月にはアセアン会議も開かれ人々にも活気が溢れてきていたのに、とく特に今年はカンボジア観光年・・・。
この事件の背景には色々の思惑が見え隠れします。今年の7月にはカンボジアの総選挙が行われます。過去二回の選挙でも事件が続いていました。1993年第一回目、国連暫定政府によるカンボジアはじめての総選挙この時はポルポト派との抗争で多くの人々の命が失われました。1998年第二回目、選挙前の1997年与党第一党のフンシンペック党党首の家が襲われ内戦に入りました。選挙前にはデマが飛び交い罪も無い多くのベトナム人が亡くなりました。2003年第三回目、今回の事件・・・まだまだ何かが続きそうです。
今、カンボジア経済を大きく動かしているのはタイ資本。反タイ運動のビラがばら撒かれ游舌員が各地を飛び回り游舌して歩いています。昨年はカンボジア各地の田舎を回り反政府運動をしていた人々も居ます。今怖いのは民衆の怒りです。何も知らない人々は扇動されるまま動き暴動を引き起こしています。
30日午前9時現在、全てのテレビ放送が一時中止されました。カンボジア人の知人や町を動いてみて情報を得る事にしまsす。
カsンボジアのプノンペンにて・・・
『カンボジアこどもの家』栗本 英世

