ODA 援助 活動について・・・
2003/5/27
038302-1 中尾 賢
「オカさんの話」を聞いて
1. はじめに
国際協力が叫ばれる中、日本のODAにおける援助総額は153億2300万ドル(1999年)にものぼる。日本は過去9年間に連続で、最大の供与国になっている。また、NGOなど民間の海外援助団体も増加し、日本国民も何らかの形で関わる機会も増えてきている。しかし、これらの援助が、どのような人に、どのような形で使われているのかを知る人は、意外に少ないのではないか。
カンボジアで子供の教育に携わる栗本英世さん、通称オカさんは、海外援助の実情を、自らの体験を通して語ってくださった。筆者は、まず「オカさんの話」の概要を述べ、次に「オカさんの話」をもとに、海外援助について考えていきたいと思う。
2. 「オカさんの話」
話の概要を以下に述べる。
A ー カンボジアという国
1965年から始まるベトナム戦争が1975年に終結する。カンボジア国民は、ポル・ポト政権下、その後の度々の総選挙を経ても内戦にさらされた。ようやく銃声が鳴り止むのは1999年であった。現在はフン・セン首相が実権を握っている。
国内には産業がなく、人々の生活はタイからの輸入に頼っている。2003年の総選挙の際、タイ大使館が焼き討ちされるという事件が起こり、タイとカンボジアのゲートが閉められる。タイとの国境沿いにある都市ポイペットでは、多くの人々が食糧不足で飢えた。
このような状況下で、国境沿いの人々は「今より内戦時代のほうが良かった」と言う。首都プノンペンでは、外国の高級車が走り、高級レストランは毎週満員になる。内戦時はある意味平等であった。また、国内ではカジノが急増し、スリ、強盗、売春、人身売買がはびこり、ストリートチルドレンも多い。内戦が終わり、外国との交流が始まると、急に「モノ」文化が入り込み、新しい大きな問題を生み出している。
B ー 「寺子屋」と「カンボジア子どもの家」
カンボジアの現状を変えていくためには教育の立て直しが必要である。カンボジアの識字率は30%で、教育は保証されていない。カジノ建設のために、子供達は村を追い出される。新しい村は都市から遠く、学校や病院はもちろん電気もない。あるのは残された大量の地雷である。オカさんは、有料の公立学校に行けない多くの子供達のために、村で「寺子屋」、無料の学校をつくっている。
北海道旭川北高等学校の生徒により製作されたビデオ「子どもたちに未来を」では、「寺子屋」で生活する子供達の元気な姿を見ることができる。教材・教具はすべて手作りで教科書も先生の分しかない。しかし子供達の笑顔は輝いている。オカさんはそんな子供達のために、「寺子屋」の周りの地雷を1つ1つ取り除く。
オカさんは村の孤児のために「カンボジア子どもの家」もつくっている。衰弱した孤児をオカさんの自宅につれて帰るのは簡単なことだ。しかし、一旦その生活に慣れてしまうと、子供は元の村での生活には戻れない。村の人は村の中で生きていくべきなのだ。その孤児の母親はエイズで亡くなった。カジノ等ができ、外国が入ってくることを安易に考えてはいけない。
C ー「慈悲魔」
カンボジアにはODA等から多くのお金やモノの援助が行われている。ただ、援助が必ず国を救うとはかぎらない。援助によって、カンボジア政府は、国の復興が自分達の仕事であることを忘れてしまう。また、国民は税金を払っていない。援助に頼って、国民は国づくりに参加していない。
国内には、設備の整った学校や病院が援助により建てられた。しかし、これらは機能していない。給料が安く、医師や教師がいないのだ。また、電気が通ることで、夜は、家族がそれぞれの行動をとるようになる。これは、電気を知らない村人から、電気が「一家の団欒」を奪っていくことにもなる。援助は、誰もしてほしいと思っていないのに勝手に来る。誰も何が欲しいかを聞こうとしない。
ロゥイという少年がタイとカンボジアの国境で物乞いをしていた。今にも死にそうなぐらいに痩せているロゥイは大人の5倍ものお金をもらう。それを知った義母はロゥイに食事をさせず、無理やり痩せさせてしまった。人々の慈悲の心が最後にはロゥイの命を奪ってしまうのである。オカさんはこれを「慈悲魔」とよんだ。
みんなの「何かの形で援助がしたい」と言う気持ちをなくしたいわけではない。現地で仲間となり、友となり助けてくれる、そんな援助が欲しい。
3. 「援助って何だろう」
何度となくオカさんの口から聞かれた「援助って何だろう」と言う言葉が、筆者の心に突き刺さり、いつまでも波紋を広げている。世界各国には多くの援助団体がある。小さな援助が大きな団体となることで、団体の活動を維持するためには資金が必要となる。我々の日頃の募金等が、その資金に吸い取られてしまう。我々は援助というものをどのように考えていけばよいのだろうか。
オカさんは「相手の立場に立って考える援助や相手の目線で見る援助は止めて欲しい」と訴えた。筆者には、この考え方のどこがいけないのかが理解できなかった。しかし、オカさんの話を聞くうちに、筆者の思慮が浅いことに気付かされた。我々は援助を考える時、相手の目線まで「下げよう」としている。また、「相手の立場」と考えているつもりが、実は我々の立場で「これがあれば幸せだろう」と勝手に決め付けている。だから、現地の人が必要としていないものを援助と思い込んでしまう。
我々は本当の援助のあり方をオカさんの取り組む姿勢から感じ取らなければならない。筆者は教師のあり方をオカさんの姿勢に重ねた。オカさんは「私が村に入り込んで、目立っては行けない」と言う。教師は生徒の支援者である。日頃の教育活動で、教師が目立ち細かな指導を行えば、子供達は決して成長しない。オカさんが村の人々の、カンボジアの成長を願うからこそ、我々に援助のあり方を問うているのだ。オカさんは「自分ひとりでは何もできない」と言うように、自らの人とのつながりを活かしている。もう一度、身のまわりを見つめ直し、自らができることを「どのように活かすか」を考え始めることが、援助の質を変えてゆく第一歩ではないだろうか。
4. おわりに
ビデオ「子どもたちに未来を」のエンディングで、「花」という歌が流れていた。その歌詞の中に「心の中に花を咲かそうよ」という部分がある。筆者にはこの歌が「援助は決してお金やモノではなく、村の人々の心に花が咲くように考えることが大切なのだ」と聞こえてくる。
現地の言葉で「オカ」はチャンスや機会のことだ。栗本さんが「オカさんが来た」という自らのニックネームを喜ぶところに、オカさんの思いが見える。

