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Kids Smiling

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目次
十一、人身売買( 病気の母) 十二、人身売買( 貧困)
十三、こどもを人手に渡す 十四、衛生支援
十五、マラリア 十六、あとがき・・・
Group picture 寺子屋オルセイ・カンダ−ル2月23日開校

当初は一年生のみの70名でスタート、9月からは2年生も加わり100名となります。

こどもを売る親でも、こどもにとってはかけがえのない親。私が手を出して助けてあげればこども達は私に感謝し親を恨むようにさえなってしまう。親に対する尊敬の念を失う事ほどこどもにとって辛い事はない。


十一、人身売買 ( 病気の母を助けるため ) (トップ)

カンボジアでは多くのこども達が悪質ブローカーの餌食になり人身売買で売られていきます。毎日勉強を教えていた教え子や知り合いのこどもが売られていくと分かっていても手が出せない。その時は売られないように守ってあげてもお金に困ると再び売られていく。孤児のこどもなら誰に遠慮する事もなく引き取る事ができるが、両親そろったこどもが売られていく時、どうする事もできず見送っている。実に実に辛い・・・何もできない自分が苦しい・・・。

ある日の午後、日本からスタディーツァーに来ている支援者の女性2人を連れて孤児の家を訪問していた。このクラッチェには『カンボジアこどもの家』の孤児の家が3ヵ所あり、15人のこども達が生活している。人身売買で売られて行く直前に引き取って育てているこども達もいた。日本から来た支援者の2人には孤児の支援の大切さと、売られていくこども達のことを、あたかも私一人が人身売買されていくこどもを守っているかのような態度で、自慢タラタラ話しながら帰ってきた。 クラッチェの事務所に戻ってくると、事務所の前の、チョット低いテーブルのようなすわり台に、2人の女性か座っている。一人は14〜15才ぐらいの女の子で、もう一人はその母親のように見える。ふたりとも初めて会う人たちなので顔を知らない。バイクにのり帰ってきた私達を見ると、怯えたような表情をしながら食い入るように見つめてくる。

私が手を合わせながら、チョット頭を下げ挨拶すると、2人の女性はいかにも緊張しているように合わせた手を顔のまん前まで持っていき、少し頭を下げる。その時事務所の中から手をふきながら出てきた孤児の責任者(通称お母さん)に助けを求めるように目を向け「どうしたの?」と、言うような態度で聞いてみた。 お母さんは遠慮気味に2人が尋ねてきた経過を話し始めた。「この2人はクラッチェの田舎で農家を営む人たちだが、3ヶ月前から14歳になる女の子の母親が病気で、寝たっきり状態が続いている。お父さんはお金を稼ぐために都会に行ったまま帰ってこない。」「お母さんの病気を治すためには直ぐ医者に見せなければならず、病院に行くお金が必要なので、私の事務所にお金を借りにきた。」との事だった。

一緒に来ている女性は女の子のお母さんの姉にあたり、この子にとっては伯母さんだった。もし、私のところでお金を貸してもらえなければ、明日の朝プノンペンに出かけて行き金策をするとの事だった。私は2人に向かってどんな方法で金策するのか聞いてみたが、2人ともうつむいたまま答えてくれない。隣に居るお母さんのほうを向いて尋ねても答えてくれない。私と一緒に帰ってきた2人は心配そうな顔をしながら、私達がどんな話をしているのか尋ねてきた。私は答えに窮したが、今まで聞いた内容を日本語に翻訳して伝えた。そして女の子のプノンペン行きについて思い当たる事を伝えた。「たぶん、明日の朝、この女の子がプノンペンに売られて行きます。」2人は目をみはりながら声を詰まらせ「どうにかならないのか?」と尋ねて来た。でも私には答える事が出来なかった。孤児でもない両親そろった子を引き取り育てる事は出来ない、例え、売られて行く事が分かっていても・・・。また、貧困ゆえにお金に困っている人にお金を貸すことは出来ない・・・。貸しても返す事が出来ないなら、借りた人は返せないお金を思うと惨めな気持になり、自尊心まで失ってしまう。


十二、人身売買(貧困ゆえに)(トップ)

こどもを売る親の事を、「とんでもない親だ! こどもを売るなんて許せない!」と、いう気持ちの方も多いと思います。でも、どこの親でも、こどもの幸せを思う気持ちは強く、こどもの幸せを願わない親はいません。カンボジアのポイペットでこどもを売った親に話を聞きました。 売られて行ったこどもは2歳で、カンボジア人に1 , 000バーツ(日本円で約2 , 600円)で売り渡しました。この家庭は5人家族、両親と3人のこども、今回売られていったこどもは一番下の女の子。 なぜ売ったのか? 聞いてみると・・・。

「私達には8人こどもが生まれました。でも、5人のこどもが病気で死にました。生まれて直ぐの事もありましたが、5歳になって死んだこどももいます。私の田舎はバッタンバンですが、ベトナム軍が攻めてくるというので、タイの国境まで逃げました。その後戦争が激しくなったのでタイに逃げていくとタイ人の兵隊に捕まりカオイダンキャンプに収容されました。そこで夫とめぐり合い結婚しました。その後、無理やりバッタンバンに返されましたが、私の兄弟も多く耕す土地もありません。タイとの国境の町ポイペットにくれば仕事があると聞き、家族で移り住みました。貧しくて食べ物も無い日が何日も続きました。そんな時に1人減り、2人減りと、こども達が死んでいきました。やっと内戦が終わり平和になったと喜んでいましたが、今まで住んでいたところを追い出され、このプームツマイ村に流れ着きました。でも、仮小屋で家も無く、土地も仕事もありません。国境から追い出されたので荷物運びにもいけません。こどもが病気になってもお金がないので医者に診せりません。今日も食べるものがないのです。手放した子は、少しでも豊かな人に貰ってもらえば、と思い、こどもが生きていけようにと思い、人手に渡しました。」

1970年から続いた内戦は1999年2月まで弾の音が鳴り響いていました。その中をかいくぐるように、ようやく生きてきた家族に再び不幸が訪れたのです。2000年2月、ポイペットの国境に住んでいた家が不法住居と言う理由で壊されたのです。「朝起きだすと家の近くに兵隊と大きな車、ブルドーザーが止まっていました。前日まで、何の前触れも無く、突然住んでいる家が壊されてしまいました。大急ぎで家財道具をみんなで手分けして持って逃れてきました。」プームツマイの道端に突然できたテント小屋400所帯、毎日のように幼いこどもやお年寄りが亡くなっていきます。やっと戦争が終わって平和になり幸せが訪れるかとおもったのもつかの間、再び人の欲のために不幸が訪れました。

ポイペットの国境に突然沸いたようにカジノが出現したのです。当初一軒だったカジノは現在8軒にまで増えています。ビアガーデン、マッサージパーラー、ホテルがオープンし、夜中までにぎわっています。人の欲望が作り出したカジノ・・・。その影で多くの貧しい人々が亡くなっていきました。


十三、こどもを人手に渡す(トップ)

ある日おばあちゃんが女の子2人の手をしっかりと握り、思いつめた表情で私を訪ねて来ました。 そして、とつとつと話し始めました。「私は年をとり過ぎた。この子達ふたりを育てていく金も、元気も無い、どうか後生だからこの子達を連れて行って育てておくれよ・・・日本でもどこでもいいよ・・・こども達が幸せになれるなら・・・。」おばあちゃんは長い間悩みながら決心したらしく、私が「こども達を引き取る」と言はなければテコでも動かない気構えを見せ、迫ってくる。おばあちゃんは本当にこども達のことを愛し、こども達の将来を心配して尋ねてきたようだ。そんなおばあちゃんの愛情に、赤の他人である私が適うわけは無い。

『カンボジアこどもの家』では、引き取り手の居ない孤児の支援をしている。こどもを愛しお世話してくださるおばあちゃんが居る子を引き取る事は出来ない。と、断らざるを得なかった。ここまで書いてきますと援助活動の難しさばかり目立ってきます。

この本の表題に『誰にでもできるボランティア』と書いたのは嘘になる!いいえ! ボランティア活動は誰にでもできます。ボランティア活動の対象者は、障害者、弱者、老人、貧困、困窮者、災害、飢きん、戦争などの被害者です。最近では、不登校、自閉症、一人生活者なども上げられるでしょう。でも、ボランティアの対象者は限定できません。その時代、その時によって違ってきます。

ボランティア活動するのに必要な条件は・・・、助けを必要としている、人、動物、自然環境などの問題に、自ら進んで 『奉仕』 しょうとする 『心』 です。自ら進んで奉仕しょうという気持ちは誰にでもあり、誰でもできることです。お金は必要ありません、特別な知識も必要ありません。たとえお金があり知識があっても『思いやりの心』がなければ、間違った援助になります。支援活動に必要な物や金は、必要に応じてあればよいのです。必要以上にあれば使い方を間違えてしまいます。後は経験と知識がより有効になっていきます。私はお金を使わない支援を目指しています。お金は支援活動を妨げ、間違った方向に導きます。「お金がなければ支援活動ができない!」と、思うように・・・。お金があれば、お金を使った援助活動をしてしまいますが、お金がなければ知恵を絞り、みんなと協力し合って支援活動ができます。お金がなかったからできた支援の例を二つ記載いたします。


十四、衛生支援(トップ)

カンボジアの東北部を紙芝居や絵本を持ち、識字ポスターを配布しながら学校の無い村々を回っている時の事。山村の小さな村で 5歳ぐらいの女の子が足の太ももを真っ赤に晴らして泣いていました。その、おんなの子の足は赤く腫れ上がり、通常の2倍ぐらいに膨らんでいます。ちょうどカバンの中に持ってきていた消毒液を出し、抗生物質の軟膏を取り出すと、腫れ上がった足を消毒し、抗生物質の軟膏をたっぷりと塗りつけました。いつもは隣村に移動するのですが、その日はこのこどもの事が気になり移動しないで村に泊めていただきました。翌日も同じように腫れ上がった足を消毒液で消毒し軟膏をたっぷり塗りつけました。しばらく様子を見ながら治療を続けますと3日目から足の腫れが少しずつ引いてきました。傷口を消毒して膿みを出そうと上下からゆっくり絞り出しますと、ニュルニュル、ニュルニュル、と、白い生き物が出てきます。なんと大量の蛆虫が幼いこどもの足の中に入り込んでいたのです。蚊にかまれたような傷口を、汚い手と爪でかきむしっている時に、ばい菌が入り込み化膿したものと思われます。傷口から、膿みと体液が出てきますと、そこにハエが集り卵を産みつけたのでしょう、そして幼い子を苦しめていたようです。ほって置くと化膿した足を切断しなければなりません。それでも治療しないでほって置くと死亡します。幼いこどもの事が気になり村を離れる事ができません。一週間ほど村に泊めていただきこどもの治療を続けますと傷口はすっかり良くなり腫れも引いてきました。

川のそばに住んでいないカンボジアのこども達は、お風呂に入りません。飲み水も充分にない地域では水が貴重品で贅沢な風呂にはなかなか入れないのです。それでいつも汚れていて、手の爪は垢だらけです。蚊の刺した後が痒いといってかきむしればばい菌が入り込みます。この子の傷が治ったのを見た村人は、消毒薬と抗生物質の軟膏をほしがりました。この村の子で他の子も化膿している子が居たので消毒薬と軟膏を提供してきました。この私のとった行為は後々まで大きな問題を引き起こしました。私がこの村を訪れるたびに薬を要求されます。当初は日本から来る人々に消毒薬や薬を持って来てもらっていましたが、そのような与える援助は長続きしません。村人達で 『手に入らない物』 を提供する援助には、大きな問題があります。村人達が自分達で問題を解決でないで、いつも援助を求めるようになるからです。

私は悩んだ末良い事を思いつきました。こどもの頃、病気やケガをすると塗ってくれた薬草があります「アロエ」です。アロエはどこにでも繁殖し、たくさん増えるので、村に植えました。村人達にはアロエの効能を説明し実演しました。皮を剥ぎアロエの樹液を傷口に塗るとケガが直ると説明し、切り刻んで飲むと腹痛にも効くと指導しました。数ヶ月かけて村中の各家庭にアロエを植え付けると村から化膿で苦しむ子が目に見えて減ってきました。蚊に刺された時や傷をした時は、垢だらけの汚い手や爪で掻かないでアロエの樹液を塗るように教えますと、傷口が清潔になり化膿しなくなりました。この援助はお金が無いからできたようなものです。アロエはいつまでも生産できますし村人達だけでもできる薬だからです。


十五、マラリア(トップ)

カンボジアの山岳部にはマラリアが発生します。毎年雨季になると何人もの人々がマラリアで尊い命を落とします。私はボランティア活動で田舎に行く時、お金を持っていきません。お金を使って支援すれば、お金が無ければできない活動になってしまいお金を求めるようになります。お金を持っていかなければ村にも入れなくなります。村人達の自尊心を傷つけます。村人達がマラリアに冒されても、私には薬を買うお金も無く、病院に連れて行くこともできません。そんなある時、8歳の女の子がマラリアにかかりました。高熱を出し苦しんでいる時は、何度も何度も自問自答しました。「この子を町の病院に運んであげたい、早く治療すればマラリアは死に至る病気ではなく治ることができる。」そう思うと、お金を持ってきていなかった事が悔やまれます。お金ではボランティアできないと言いながら、お金の必要せいを身にしみて感じていました。「一週間が過ぎる頃この子は幼い命のともし火を消すように亡くなりました。」

私はなすすべも無くこどもの手をにぎりしめ見送っていました。 この子の葬式が済んだ日、村長、長老、村人、みんなが集まりこどもの死を悼みました。みんなが集まっているところで亡くなったこどもの原因について話し始めました。「マラリアは「蚊」が媒体します。「人」→「蚊」→「人」の順番です。もし、「蚊」が居なければマラリアになりません。この子も死ななくて済んだのです。」「明日から村中の「蚊」を全滅させましょう! 「蚊」の幼虫「ボウフラ」も無くしましょう・・・。」こうして村中総出で、蚊の生息しているところや、水溜の掃除が始まりました。 毎年のようにマラリアに苦しめられていた村は、この年から目に見えてマラリア被害が少なくなってきました。


十六、あとがき・・・(トップ)

ボランティア活動をするのに『お金』が必要とされている。お金が無ければボランティア活動ができないのだろうか? ボランティアはお金持ちのチャリティー活動? 少し違うように思える。今活動している海外ボランティア団体の多くに、疑問をもつようになった。「お金の要らないボランティアに挑戦してみたい!」そんな思いでカンボジアに渡り、カンボジアの田舎に住みはじめた。その頃は、本当にお金が無かった。毎月一万円の生活費で過ごしていた。『寺子屋』 も、お金がないからできたようなもの、 学校の無い村の人達が、学校がほしいといった時、「私にはお金がないから立派な校舎はできません、みんなで校舎を建てて下さい。私はこども達を教えます。」と提案した。こうして、村人達との連携活動で 『寺子屋』 が動きはじめました。村人の男性達が森から木を切りだし、校舎を建て、机、椅子を作りました。女性は屋根や壁に使う萱を集めてきて編みましだ。みんなで作ったのが 『寺子屋』 です。2002年5月現在、 『寺子屋』十一校、生徒3,000人、教師50人にまで広がってきています。 それでもまだまだまだ足りません。カンボジアの各地から 『寺子屋』 開設要請が届いています。

2002年 3月 カンボジアにて

『カンボジアこどもの家』


 栗本英世

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