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Kids Smiling

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目次
七、乳牛プロジェクト 八、放置自転車援助
九、中古衣料はどこへ行く 十、イルカの支援

Well building 2月半ば・・・

寺子屋サンタピアップに待望の井戸完成!この地域は伝染病も多く、多くのこども達が病気で亡くなっていきます。こども達の健康を守りために新鮮で衛生的な水の確保が待たれていました。

との話が出た。このツァーに参加した人たちは、日本に帰ると早速会議を開き、健康維持援助を話し合った。そして 「ミルクの支援」が話し合われた。その中で毎月粉ミルクを届けるのは難しいので、乳牛を飼育したらどうだろうか? との提案がなされた。早速準備に取り掛かり援助をしている学校と村の人たちの反応を見る事となった。7つの村の学校とこどもが対象で、村長、長老達が呼び集められ協議がなされた。 集まってきた人たちに・・・、「こども達の健康維持のため、乳牛を飼育して、その牛乳を飲めばこども達も健康になれます。乳牛の援助をしたいけれど、意見はありますか?」と、尋ねた。返事がない。「みなさんの意見はどうですか?」と、再び尋ねても、誰からも返事が無い。「賛成の人は手を上げてください。」と、尋ねると、全員賛成の手を上げた。

、乳牛プロジェクト (トップ)

同じころ、援助をしている学校の生徒の健康状態が問題になっていた。同世代の日本のこどもに比べると、身体も小さく健康状態も良くないように見受けられた。日本から援助ツァーで来ている人から、「そういえば自分の小さい時も同じように栄養不足で小さかった。外国から脱脂粉乳の粉ミルクが届き、それを飲まされて健康を維持していたように思う・・・」

このようにして7つの村の代表たちと村人に3回に渡って集まってもらい協議した後実行された乳牛援助だったが?いざ乳牛が送られてくると村人達はだれも責任を持って面倒見る人が居ない。援助をしている学校でも乳牛の引取りを拒まれ、にっちもさっちも行かなくなった。どこからも乳牛の面倒を見る学校や村が現れないのである。 3回にも渡ってもたれた会議は何だったのだろう?村長も学校の先生も村人も全員賛成してはじめたのではないのか? との疑問が起きてきた。それでも送られてきた乳牛を放置しておく事も出来ず援助団体で土地を手に入れ牧童を雇い飼育がはじまった。

暑い国での乳牛飼育は大変で問題だらけだった。

1、絞った乳は直ぐに低温でカクハン ( 水流を起こしかき混ぜる ) しなければ雑菌が発生し飲めなくなってしまう。
2、汚い手で乳絞りをすれば、手についている雑菌が乳の中に入り菌が大量発生する。
3、タイのこども達は今までいちども生の牛乳を飲んだ事が無く、生の牛乳を飲めば全員下痢をしてしまう。
4、搾り出した乳は低温保存しなければ一日で腐敗してしまう。
5、乳牛は決まった時間に毎日乳を搾らなければ乳が体内で腐り乳房炎を起こす。
6、朝早くから夜遅くまでの仕事で決められた時間を守らなければならず・・・・・タイ人には難しい。

現地の学校の先生や村人達から、「乳牛の飼育はやった事が無いので難しい・・・」「飼育方法がわかっている肉牛のほうが良かったのに・・・」との声が聞かれた。村のため、学校のため、こども達の健康維持のためにとはじめられた牛乳援助プロジェクトではあったが、村人不参加の惨憺たる結果となった。

良かれと思い始められる援助活動が、本当に村人達の必要としている援助なのだろうか?充分に考慮される事も無く、援助をはじめた結果がこの始末であった。3回も会議を開いた!と言うかもしれないが、援助団体の人が「何々をしたい!」と言えば、村人達が自分で金を出すわけでもないプロジェクトにとやかく言うはずがない。反対して援助団体に嫌われるより、何でもいいから賛成して置こうと言う神経が働いていたとしても、何の不思議も無い。


八、放置自転車援助(トップ)

タイ東北部の学校を管理する教育委員会に、日本の放置自転車を送る話し合いが持たれ2,500台の放置自転車を送るプロジェクトがはじまった。中学生になると学校の数が少なくなり遠い距離を通学しなければならない生徒も多く生徒にとってはとてもよい援助のように見受けられたが・・・。当初日本から自転車の組み立て技術者も2名来られ、自転車の組み立て方や整備の仕方、部品交換などを指導し、地域の学校から先生と生徒も参加して学んでいた。最初に着いた1コンテナー自転車220台分は、教育委員会、学校、生徒も大喜びで引っ張りだこの有様。ちょうど東北タイを視察しておられた教育大臣もセレモニーに参加され、タイの新聞社やテレビ局まで集まり、大きなニュースとして取り上げられ華々しい幕開けとなった。

半月が過ぎる頃送られてきた二度目のコンテナーの荷物 ( 自転車 ) も順調に組み立てられ各学校に配分されたが・・・1,000台を超える頃から異変が起きはじめた。コンテナーが着いても引き取り手が居ない「今忙しいから・・・」と、誰も手伝ってはくれない。送られてきた自転車の組み立てもできず梱包されたまま教育委員会の倉庫に放り込んでしまった。この様にしてその後送られて来る自転車は全て倉庫に直行便・・・誰も組み立てて乗ろうという人たちは居なかった。「どうしてこんなことが起きたのだろう???」コンテナーで送られて来る自転車はそのままでは使用できない。サドル、ハンドル、タイヤ、チェーン、車体、ライト、全てがバラバラに梱包されている。多くの自転車をコンテナーに詰め込むためには、各部品ごとまとめて梱包したほうが多く詰め込める。

しかし現地で荷物を受け取る側は一台ずつ自転車の種類が違うためワンセット揃えるのが一仕事。まるで同種類部品探しのゲームに参加しているみたいに手間がかかる。やっと揃えてグリスやオイルを注しながら組み立ててゆく。それでも何台かは部品が見つからず組み立てができない。大変な思いをして組み立てている人には自転車の配分も手間賃の支払も無い、全くのボランティア。今日を生きるのに精一杯の人々にとって無報酬のボランティアは難しい。「生徒に組み立て方を教えながら完成させれば・・・」という意見は日本の自転車支援プロジェクトメンバーから出た言葉だが、学校では正規授業で精一杯。そのための先生を補充する事はできなかった。

この自転車支援プロジェクトにはまだまだ問題があった。教育委員会へのプレゼントとして輸入されるので非課税・・・荷物が港に入ってもなかなか受け取れない。税関職員達は何の利益も生まない荷物に急いで手続きしてはくれない。荷物検査を済ませ、できるだけ早く受けて取るためにはそれぞれの担当者に袖の下 ( お金 ) を渡さなければならない。でも、その支払には領収書も支払証明書も発行してもらえない。15コンテナーを15回に分けての入荷、その度に4〜5千バーツづつ支払い。 ( 約300,000円 )まだある、日本から送られて来るコンテナーは港までの料金。港から先の陸送代は含まれていない。2,500台分をコンテナーに詰めると15コンテナー分・・・1コンテナーの陸送代金が30,000バーツ。15コンテナー ×30,000バーツ=450,000バーツ ( 日本円で約180万円 )このお金はどこからも出てこない。更に荷物の積み下ろしは労働者を雇い有料で働いてもらった。その支払も延べ計算で70人。一人100バーツで合計7,000バーツ ( 28,000円 )まだまだある、日本から自転車を梱包してタイまで送る費用は200万円を超えている。 ( この費用は現地負担ではない )援助物資にお金の計算だけしてはいけないが、日本から一台の中古自転車を送る費用で、現地では新車が2台買える。正直な気持ち、現地負担を強い要る援助は、もう二度としてほしくない。


九、中古衣料はどこへいく(トップ)

カンボジアとタイの国境ポイペットにいると毎日目にする。貧しいカンボジアの人々のために送られてきた大量の援助物資が、国境を越えたタイ側のマーケットに流れていく姿を・・・。日本や諸外国の各地から送られて来る荷物は、その目的の人々の手には渡らずブローカーの待つマーケットに流されている。ブローカーのひとは、カンボジアで売るより高く売れるタイのマーケットに持っていく。そんな援助物資を積んだ大きなトラックが、国境の町を途絶える事無く永遠と続く・・・。援助物資を送る側は現地カンボジアに着いた時点で責任が終わり、後は現地N.G.O任せ。現地N.G.O.では物資を配布する費用も人材もない。今日を生きるのが精一杯の現地の人々に無料奉仕のボランティアはムリ。一部の援助物資を配布し写真とレポート作成が終わると、後はブローカーの待つマーケットに持っていきお金に換える。お金ほしさに働いている N . G . O .職員が自分達の活動資金にするためマーケットに持っていくのは至極あたりまえの事。また、送られて来る衣料品の中には現地で使用できない物も大量に含まれている。援助物資を送る人たちは援助物資の衣料品を送る事でタンス、倉庫の整理をしている。

「受け取る人々の気持ちを本気で考えているのだろうか?」と、疑いたくなる。古くなった下着も入っていればくたびれた靴下も入っている。 暑い国に厚手のオーバーまで入っている。もし、本気で受け取る人々の気持ちを考えるなら、自分達が使わなくなった捨てるものまで送るだろうか?物の無い貧しい人々の事を、どっちみち何もないんだから・・・これでも充分ヨ・・・と、言わんばかりに・・・貧しい国の人々を馬鹿にしているようにさえ思える。貧乏な人々に物を送り、相手の気持ちも考えず良い事をしたような気持ちになって自己満足に浸っている人々もいる。愛する人や自分のこどもに古びた物を上げるだろうか・・・?


十、イルカ支援(トップ)

カンボジアを北から南にかけて横断するように流れている川、メコン川。その流域の町、クラッチェ、ストントレインには川イルカが生息している。1997年クラッチェの町に『カンボジアこどもの家』の事務所を設け、孤児の支援をしながらメコン川流域の村々を識字教育で回っていた。いつも通るメコン川から時折イルカが顔を出す。真剣に川面を見つめていると5分から10分間隔で顔を出す。イルカが川面に出てくるときは「ブォー」と音を響かせながら水を吹き上げる。手漕ぎボートで近寄ると、イルカダンスを披露してくれる。右側に出たと思えば左側にも出て、まるでダンスを踊っているような錯覚に陥る。小さな赤ちゃんを連れたイルカは、こどものイルカを真中にはさむように夫婦で泳いでいる。数頭連なってドルフィンする事もあり時間の過ぎるのを忘れ不思議な世界に引き込まれる。何頭ぐらい生息しているのか?何を食べているのか?人間と同じ哺乳類だがお産の時はどうするのだろう?いつも見かけるイルカについての知識は皆目持ち合わせていない。そんな時、日本経済新聞の社会欄に「カンボジアのイルカを救おう!」という内容の記事が掲載されていた。いつも気になっていた事なので大喜びでイルカの記事を読んでいくと・・・「イルカは、その生息数が60頭を切ったら自然繁殖できなくなり絶滅する!」と記載されている。イルカのおかれている現状に不安を抱き、正しい情報がほしくて新聞社に問い合わせた。新聞社からイルカ保護団体の住所と名前を教えていただき早速連絡をとった。

その後日本に帰る用事ができたので援助団体と連絡を取り合い代表の方とお会いする事ができた。お会いすると思いは一つ、一挙に打ち解けイルカの生息地クラッチェの現地事務所代行を引き受ける事となった。大いに張り切りイルカの援助もしていこうと燃えていたが・・・団体は、イルカのロゴ入り帽子やティシャツを作ったり、船着場のうえに団体の名前を大きく書き込んだネオン塔を作って飾ったりしている。これは日本のテレビやマスコミが来た時のため、との事。ネオン塔や帽子ではイルカの腹の足しにもならない。いつになったらイルカの置かれている環境や食物、出産、育児、その他のフィールド調査をはじめるのか?聞いてみたがハッキリした答えが返ってこなかった。イルカの支援を考えるなら、最初にしなければならないのがイルカの生態調査。その結果をもとに問題点を拾い上げ解決していくのがよいように思えるが?それでもまだ諦めずに期待をかけていたので「何か私にできることがありますか?」と尋ねてみると「御蔵島のイルカの物語を絵本にして日本で出版しています。その本をカンボジア語に翻訳して出版してください」といわれた。なぜ?カンボジア語で日本の御蔵島のイルカの本を出すのだろう?不思議に思い聞いてみると・・・あきれた答えが返ってきた。「カンボジアでも活躍している事を日本の人たちに知ってもらい支援金を集める」との事。空いた口がふさがらない。追いかけ言われたのは「日本で配るためできるだけ少ない部数でいいです。できれば1,000部以下でできるだけ安く作ってください」といわれて預かった金額は300ドル。小さい絵本ではあるが 47ページのハードブック本。翻訳代だけでも300ドル以上かかりそうだが印刷製本は現地負担なのか?私とは動き方が違うな〜とも思ったがイルカのためになるならとお付き合いを続けていた。その時から5年の年月が過ぎてきたが未だにフィールド調査もなく、イルカのためには何もしていない。でも相変わらず。

「カンボジアのイルカを守ろう!」と言う記事が新聞をにぎわし、イルカセミナーを行い、いかにもイルカ支援をしているような活動を続けている。昨年も新聞発表でイルカ研究所完成との記事を読みびっくりして出かけてみた。クラッチェの漁業省の方々やお役人の方々とは知り合いなので話を聞いてみると「サァ〜」と答えるだけで、クラッチェの担当者本人も何をするのか?何も知らない。イルカ研究所はクラッチェの役所の土地に建てられている。研究所の中はゲストルーム2部屋、ミーテングルーム1部屋、事務所1部屋、標本室1部屋、トイレ2、シャワールームの平屋建て。完成してから1年が過ぎようとしていますが未だに何も行われていません。団体の名前を売り出すだけで、イルカのためには何も行われていないイルカの援助活動。


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